豆球~闇夜をほのかに照らす~

名前:よしこう。フリーランスとして生きることを決意した男が、社会の片隅で語っていきます。twitter:@jijian0426

【ラジオ】僕とラジオのこれまでの関わり

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聴き始め

子供の時からラジオが好きで、今でも聴き続けています。

 

きっかけは、転居により一人部屋が与えられたことでした。

 

寝るために自分の部屋に戻っても自室にはテレビがなく、寝るまでの時間(僕は大変寝付きの悪い子供でした)何もすることがなく、仕方なくラジオを聴いていました。子供が聴いて面白いラジオ番組などないので、当時印象に残った番組はありませんね。

 

深夜ラジオ番組

それから中学時代になると、僕も深夜ラジオ番組文化に触れるわけです。特にオールナイトニッポン土曜日、笑福亭鶴光を毎週聴いていましたね。「乳頭の色は?」など、今では大問題になりそうなセクハラが毎週繰り広げられていました。

 

鶴光さんは、女性であればどんな人にも乳頭の色を尋ねていて、番組ゲストに来た欧米人男女音楽グループの女性メンバーにも「乳頭の色は?」ときいた時にはハラハラしました。

 

当時はセクハラという言葉はありませんでしたが、子供の僕にも、女性の人権意識が強い欧米の女性にそんなことを言ったら大問題になることは想像できます。

 

でもその時はそのグループの男性が「彼女のは言えないけど、僕のはピンクだ!」と明るく受け流してくれて、胸をなで下ろしたことを覚えています。

 

同時期にオールナイトニッポンのDJをやっていたのが、つボイノリオさんでした。

 

当時はハガキの内容(まだメールのない時代)に合わせて声色を変えるのが面白かったのですが、僕が大学受験に失敗して落ち込んでいる時、彼がKBS京都でDJをしている番組に出会いました。「ハイヤング京都」です(当時僕は関西に住んでいました)。

 

この番組はエロ・グロ・スカトロ満載で、毎週聴く度に大笑いしていましたね。番組開始前に「差し入れ」といってご本人に会える機会が設けられていたんですが、結局行きませんでした。

 

その代わり、この番組が終わってもつボイさんを追い続け、インターネットラジオの番組も聴きましたし、今も続く名古屋の番組や京都の番組をradikoプレミアムで聴いています。

 

コミュニティーFMからインターネットラジオ

時代は流れ、僕も就職し、多摩市にある独身寮に住むことになりました。そこで寝る前にラジオを適当にチューニングしていたら(そこは電波が悪くてほとんど何も受信できかった)、ふとクリアーな音楽が流れてきました。

 

それが今はなき「FM多摩G-Wind」です。コミュニティFMといって、地域で流されるFM放送です。ここで深夜流れるJAZZがかっこよかったんですね(後に、他の放送局の番組をネットしているだけということが判明)。

 

独自番組では、日曜夕方に「side-kick」という、おそらく他の局では絶対に流さない超ハードコアな曲をかける番組を聴いていました。

 

その後、コミュニティFMがPCでも聴ける、しかもネットでは全国のコミュニティFMを聴けることを発見したんです。

 

「いいこと聞いた」と大喜びでそこからインターネットラジオの世界に入っていきました。

 

日本のインターネットラジオ局はあまり面白いものがないのですが(規制が厳しいのでしょう)、外国のインターネットラジオ局は数も多いし、大半は曲を流しっぱなしなので、世界の色々な局を聴きまくりました。

 

でも、やっぱり最後は日本の局に戻ってきてしまうんですよね。「選曲」なんだと思います。外国の局の楽曲は、いまいち良くない。

 

そして、日本のノンDJ番組を作業用BGMにして作業する習慣がつきました。僕がBGMにしているのは、主に湘南ビーチFMのノンDJ番組です。すべて毎日録音したものを流しています(今も「morning JAZZ」を流しています)。

 

どうやって聴取・録音しているかについては、別途述べます。

 

ということで、今週はラジオについて語っていきます。最終日には、僕が設定している「メンテナンスフリー ラジオ番組録音・削除システム」について紹介します。

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